2004-01-01から1年間の記事一覧

胃の状態がよくない 

胃が不穏です。胃壁がすこし爛れたようにおもいます。昨日は調子が悪く、気持がほかのことに向かわずに、臥せり気味に時をすごしました。今日はしっかりと養生をとるようにしたいとおもっています。 自分をうまくコントロールできていないところに病の根源が…

読み返すとおもしろかった 

お久しぶりです。論争の一件が片付いたので再開です。 大正四年(1915)、いまから90年もまえに書かれた実用書があります。その書が、いまだに実用性を失っていない。それだけでも、じつに稀有なできごとといわなければなりません。堺利彦の「文章速達法」がそ…

 論争はたのしい  

論争は好きですね。燃えながらも頭がどんどんクールになり、相手の言句に応じてますます自己の思惟がとんがっていく状況は、ある種、脳髄への麻薬的効果すらあります。 で、いままた、某所で論争とまではいかないけれど、即応の言語駆使に備えて待機しなけれ…

ポオ「構成の原理」 

エドガー・アラン・ポオの「構成の原理」(篠田一士訳)はおもしろい。 この詩論は、ポオの代表詩であり、あまりにも有名なかの「鴉」の創出過程をみずからが詳述したものです。創作の秘密の園に自分の作品を素材として足を踏み入れ、その過程の解き明かしを自…

 ビデオについて    

わたしたちのまえには、安価な民生用のすぐれたビデオカメラがあります。たとえばDVカメラなど。 「しぶさん」と略称された4分の3インチのビデオデッキ(これははじめてのカセットタイプのビデオ媒体でした)の時代、そしてそのカセットデッキと一体化さ…

 昨日のこと  

自宅からほど遠からぬところで、昨日、新作の自作ビデオの上映をおこないました。持ちこみの作品を自由に無審査で上映してくれるスペースがあり、第三月曜日と決めて、月一度、定期的にその催しがおこなわれているのです。 上映した作品のもともとは、先々週…

「徒然草」のとある一段  

先般、とあるところで、その場の話題の関連にふれて、ひょいと木登り名人の話を持ち出したことがあります。語ったそのあとで、たしか出典は「徒然草」ではなかったろうかと、おぼろげな記憶をたよりに、帰宅後、書棚の奥から「徒然草」を取り出して調べまし…

自主映画というたわごとについて 

明石にインディーズの著名な超弱小出版社があります。知る人ぞ知る、かの幻堂出版です。その出版社を独力で運営しているのは、なかのしげるさんという方で、70年代初頭より、8mm作品を赤土輪という監督名で制作し続けている映像作家でもあります。 自主映画…

表現外にカメラ眼の定着する光像 

スチル写真の表現もムービーの表現も、ともに対象光像の記録をおこなうカメラという機械を媒介させて表現を実現させます。一見、機械そのものが記録をおこなうかのように見えますが、その視覚像のありかたの選択は撮影者の頭脳を介して実現をみるのですし、…

 西行  

西行との出会いは、とあるグラビア雑誌でした。逆光に映えたすすき寒々としげれる、みごとな川辺の風景写真を背景に、一首の和歌が白抜きの大文字で詠じられていました。 「心なき身にもあわれは知られけり鴫立沢の秋の夕ぐれ」 いいようのない名状しがたい…

 表出について  

表現に対し表出ということばがあります。この表出の概念は、いまのところ人さまざまに使用されており、その概念は一様ではありません。その表出ということばを、表現という概念に対してどう使い分け、どう概念差を明確にして用いているのかは、おのおのの書…

 表現と意識媒介  

表現形象の原像は、あたまのなかに想像創出される認識ですが、それが生成即表現となるわけではありません。つまり無意識にただちに表に現れるものではありません。意識が媒介するのです。 表現したいことの原像の創出と、表現形象が自己認識外の客体として疎…

 映像化の抽象規定  

わたしが創る映像作品は、映像構成や映像個々のありかたにおいて、それはきわめて自由度の高い代物です。撮影時には、およそコンテなるものはありません。そのときそのときの映像世界観的イメージがそこにはあるだけで、それが視覚的に具体化をみせているば…

 カメラ眼のフレーム  

ムービーカメラの撮りこむ映像視覚は、われわれの肉眼視覚と近似してはおりますが、肉眼とは異なる特殊な視覚性を保有しています。その特殊性は多岐にわたりますが、ここではフレームについてすこし展望しておきたいとおもいます。 映像視覚には、なによりそ…

 編集にふける  

しばらくのご無沙汰でした。この間、たてつづけに編集作業に精出すことがかさなってしまい、生来の不精もいきおい顔をのぞかせ、ついぞ執筆がお留守になってしまいました。 その編集作業は、つづけざまに三つありました。 ひとつは、某映像講座の受講生の編…

 撮影が反映するもの  

ムービー撮影(ここではアニメ撮影は捨象して考察をすすめます)が定着する映像の基礎的なところを考察しておきます。 カメラまえの対象光景を、相対的な独立にある時間枠意識と空間枠意識において切断し、その映像視覚像的反映のありかたを定着させること、…

 不表現という創出過程  

表現創出の過程には、不表現が重要な機能をはたします。 それは表現しないことが表現過程に含まれるのだということであり、それは表現しないことが表現になるということでもあります。その部分だけを取りあげると、なにをいっているのそれ、とおもわれること…

時相映像美<表現>学・事始 

東京の映像上映集団「ハイロ」の上映会が1999年の夏にありました。作品をもって出向いたおり、映像実験誌として不定期に刊行されている『Fs[エフズ]』の編集長水由章氏が見にきてくださって、そこで雑誌への寄稿を依頼されました。ようやく理論的展望が曙…

 劇映画的表現性    

劇映画的表現とはなんでしょうか。 <劇映画=劇表現+映画表現>とみなしたいと、わたしはおもいます。 こういう図式には、ご不満の向きもおありでしょう。いかにもだれにもおもい描けそうな、安易なビジョンにうつるからです。しかし単なるおもいつきから…

映画・編集時代のはじまり  

編集という表現は、光景撮影の描出を単体(ワンショット)にとどまらせず、いくつものショットを複合的にくみあわせて構成するという表現です。 映画表現の創出過程として、ここにそれがはじまりをみたといっても、はじまりのその当時は、それはまだ単純素朴…

ヘーゲル『美学講義』を読む  

ヘーゲルは端倪すべからざる人というほかありません。折にふれ、その『美学講義』をひもとくのですが、ただただ感嘆させられるばかりです。その本文に入るまえの入口にも達せぬほんの序論にも、ヘーゲルはいきづいています。 ただしこの著作は、ヘーゲルの死…

表現をなしうる人間頭脳の機能 

<表現という語彙> 「表現」ということばが一般につかわれるとき、その語彙は、「表現する」という過程的なものを指示するばあいと、その表現したことの結果としてあらわれた「表現されたものやかたちのありかた」を指示するばあいとの両義があります。 こ…

 映像視想メモ(13)  

<映像視想メモ・最終回> 1981年執筆 あるとき、4・5人ばかりの映画ファンと、いましがた見たキューブリックの「二〇〇一年宇宙の旅」についてわいわいと語らっていた所、SF映画マニアのもの知り屋の一人が、やおら、その映画で使われた宇宙船模型の話…

 映像視想メモ(12)  

<映像視想メモ・第12回> 1981年執筆 映画を見終えた後、自心の中で、はじめ見た折に生じた精神への衝撃がいくばくも持続しえずに、時の隔たりの内に風化してゆく作品がある。それとは逆に、見たばかりの折はさほどとも意識されなかったわずかばかりの衝撃…

 映像視想メモ(11)  

<映像視想メモ・第11回> 1981年執筆 「風たちの午後」(80・16ミリ)を観た。矢崎仁司さんが演出したこの劇映画は、アクションの細やかなディティールをつとめて大切に撮り込んだ、作家の気合のこめられた作品であった。 主役のナツコ役を演じた綾セツコの…

 映像視想メモ(10)  

<映像視想メモ・第10回> 1981年執筆 こちらの肺腑がえぐりとられるほどの、深い、息のつまるような感動というやうつは、一体どこからやってくるものだろうか。眼の前のスクリーンに映し出されている頼りなげな映像に注視することをやめ、ぼくはしきりとそ…

 映像視想メモ(9)  

<映像視想メモ・第9回> 1981年執筆 “映画は観客を楽しませるものであってほしい”という主張がある。楽しさというものへの個的差異を無反省に考えている点を問いつめたい心はあるが、基本的には間違っているとはいえない主張だと思う。その発言が時におや…

 映像視想メモ(8)  

<映像視想メモ・第8回> 1981年執筆 プガジャ2月号のイベント評で紹介されていた劇団“日本維新派”の公演『昼間よく通る近所の道』を、縁があって8ミリで撮る仕事をした。 京都の映像仲間3人と手を組み、プロジェクトチームを結成して、その芝居公演は無…

 映像視想メモ(7)  

<映像視想メモ・第7回> 1981年執筆 「キネマ・ハウス」という自主製作映画の常設館が、2月から胎動をはじめた。 午後6時までは喫茶店として営業しているが、喫茶店をやることが目的ではなく、自主製作映画の常設館をやりたいというのが本来の動機なので…

 映像視想メモ(6)  

<映像視想メモ・第6回> 1981年執筆 東京のアニメ作家・相原信洋さんが、久方振りに新作を発表した。それもいちどきに5本。まとめてどどっとイメージ・フォーラムで上映されたので、そいつを見ようと東京へ出かけた。そのうち、実写を混じえた作品が3本…