胃の状態がよくない 

 胃が不穏です。胃壁がすこし爛れたようにおもいます。昨日は調子が悪く、気持がほかのことに向かわずに、臥せり気味に時をすごしました。今日はしっかりと養生をとるようにしたいとおもっています。

 自分をうまくコントロールできていないところに病の根源があるように感じます。しかし、よくよく考えて見ると、コントロールとは一体なんなのでしょうか。だれが何をどうコントロールする、あるいはされているというのでしょうか。

 こういうときは、胃自体にその真相を問いかけてみるほかありません。とはいえ、声が届く相手ではありませんから、胃の痛みの箇所に集中して、その快方がどういう状態なら導き出せるか、その条件をいろいろ自分なりに変え、その変化をうかがうという行為をします。頭の作用であれ、そのイメージ条件を質的に変えることにより、胃の痛みに変化が微量に生じます。それをキャッチするわけです。

 すると、おもわずいろんなことが見えてきます。直接的原因は無論あるわけですが、それは、単なる引き金でしかないことが多々あります。そういう表面的因子でないことに、この際、きっちりと向きあうことができます。

 いやな症状で、それ自体に集中することは重い気分が襲いますが、同一条件での再発が、自己のなにかを克服することでストップしえるとしたら、それがその場で解決のつかないことであったとしてもそれが掴みえたとするなら、それは大変、自分にとって有意義な・貴重な情報を入手したことになります。

 「山より大きいシシは出ない」ということわざがあります。この山より大きいシシを創ったのは自分自身の行為の結果であり、そこから導きだされた妄想ですから、つぎには、この行為や妄想を生じさせるまえにそれを客観視し、その行動(頭の行動も含め)の質を変容させればよいわけです。

 自己の悪いパターンを打ち破る、それを病んだという現実を媒介にたぐりよせられるとき、胃を痛めたことが、遠い将来には、よかったこととして自身に受け入れられるものになります。

 そうありたいものです。あまりにもちっぽけなところに自分がうじうじしている。そう深く感じさせられた、この胃の痛みの現実のむこうにある自分自身の発見でした。