映像視想メモ(6)  

<映像視想メモ・第6回> 1981年執筆


 東京のアニメ作家・相原信洋さんが、久方振りに新作を発表した。それもいちどきに5本。まとめてどどっとイメージ・フォーラムで上映されたので、そいつを見ようと東京へ出かけた。そのうち、実写を混じえた作品が3本あったが、そいつはどれもこれも皆目つまらなかった。

 たとえば「青マッチ」(80・16ミリ)。公園や街中で2人の男が画面の両サイドから糸を張り渡し、それをコマ撮りで撮りすすめた作品で、何本かの糸が重なったように見えたりするというだけのフィルムである。発想も撮影も構成も一切がお粗末で、その無頓着な仕上げぶりに、一体何を思ってこんな貧しい作品をつくったものか、作家の真意が計りかねた。はっきり言って、相原さんの実写に対する自己許容水準はきわめて低い。実写の方面で映像を思いつめてきた人間の眼から見れば、興醒めを覚えさせられもするその映像感覚であった。

 しかし、相原さんの真面目(しんめんもく)ともいうべき実写を混じえぬアニメ作品には、さすがにその長い歴程のほどをしのばせる冴えが感じられた。

 「水輪―カルマⅡ」(80・16ミリ)は、前作「カルマ」に彩色をほどこし、技術的により緻密化してみせた作品で、主としてラセン状に旋回する雲模様の形象抽象図像を細密にジワーッと動かしながら、凝縮した拡がりをひたひたと感じさせる、壮大なアニメ光景を現出せしめてみせてくれた。これは、相原さんの心的世界を外化した内的マンダラと捉えることも可能な作品であるとぼくは思う。その一枚一枚の絵に一体どれほどの労力が注ぎこまれているものか、じつに細やかに、また隙間なく連綿と描きつづけられている現実に軽やかな眩暈すら覚えるが、なによりも、その悠久とした拡がりが素晴らしい。

 ただし、一個の作品としては中途段階であるらしく、まだ構想の全体に達してはいないとのことだ。見終わったあとに、「カルマ」ほどのずしりとした手応えが感じられなかったのはそのせいであったろうか。たしかに、技術的にはより緻密に間断なく描きこまれ、その力量と情熱のほどには眼を見張らせはするが、はて、どこか精神的な小休止状態に踏みとどまっているのではないかという気配が見え、そのことがひとしきり気にかかった。作家が、見晴らしのきくところで、過去の遺産を元手に楽しげに絵筆をあやつっているかのようで、はたしていま、そんなところで満足していてよいものかと、ふとした疑問に襲われたのだ。

 これらの作品は、やがて大阪でも眼に触れる機会が得られることだろうが、はたしてこの一危惧の真偽のほどは、その折、読者の眼で点検して頂ければいかがなものであろうか。


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 作品の上映会を大阪で主催したり、「アニメ塾」なる制作講座を企画したつながりが、相原信洋さんとはありました。そうした交流から、東京までわざわざ足をのばし、新作を見に出かけたのでしょう。

 相原さんは、いまでは日本の個人アニメ界の巨匠で、アニメの実践教育にもひときわ精力をそそぎこみ、その薫陶を受けたアニメ作家の数も膨大です。その影響力は、おそらく日本の最右翼でしょう。

 実写作品については、ほんの数本をのぞいて、わたしはいまでも相原さんの作品をほとんど評価していません。おなじく映像としての表現ではあっても、実写で必要とされる表現力と、アニメで必要とされる表現力は異なります。その一端のほどは、04・11・13の「実写とアニメ映像との創出過程のちがい」を参照いただければさいわいです。