表現と意識媒介  

 表現形象の原像は、あたまのなかに想像創出される認識ですが、それが生成即表現となるわけではありません。つまり無意識にただちに表に現れるものではありません。意識が媒介するのです。

 表現したいことの原像の創出と、表現形象が自己認識外の客体として疎外され成立をみる形象実現過程のあいだには、人間としての特殊な頭脳活動、自己生成像を自覚化して把握する意識という機能像が介在します。それゆえ表現形象を過程的につくりかえる(不表現過程を媒介しての表現を再構築する)ことが、表現形象の形成をなりたたせる枢要をしめ、それを可能ならせしめることをもはたしうるわけです。

 ここにはじめて、人間固有の表現が成立をみます。過程的に、自己が創出した表現形象の段階的受容を媒介しての、最終形象決定にいたる模索過程がそこに出現します。猿の人間まねによる擬似表現行為には、この過程は存在しません。

 表現とは、高度の意識過程を媒介し、脳細胞活動により生み出したイメージ(認識)を自覚的に観念内において対象化し、その原像をもとに、自己の認識外部に創出対象化させた形象をつうじて、その形象に対した人間の脳細胞に、その形象を媒介させることによって創出者の精神生産の内容(イメージや概念)を受容者の脳細胞の主体的活動により創出させるものです。

 ここに特殊な、形象を媒介しての相互の精神の交通関係があらわれます。この精神の交通関係は物質の交通関係とは異なり、精神そのものが直接運ばれることはそこではありえません。表現形象が媒介をはたすことにより、作り手の精神産物を受容者の認識創出力に応じて受け渡すことを可能ならしめるものです。それゆえここでは、物質のように、産物そのもの自体が百パーセント相手に手渡されることはありえません。形象対象化の過程における創出者の表現力の問題と、受容者側における認識創出力の問題がここに浮上します。

 無意識的表現性の出現、すなわち表出の展望とともに、その課題の展開はいずれまた。