映像視想メモ(8)  

<映像視想メモ・第8回> 1981年執筆


 プガジャ2月号のイベント評で紹介されていた劇団“日本維新派”の公演『昼間よく通る近所の道』を、縁があって8ミリで撮る仕事をした。

 京都の映像仲間3人と手を組み、プロジェクトチームを結成して、その芝居公演は無論のこと前後のありさまを含めてまわせるだけカメラをまわした。はじめフィルム百本ほどもあれば事足りるかと踏んでいたこちらの甘いもくろみは、撮りはじめるとあれよあれよという間におどろくほどのフィルムを消化してゆき、またたくうちにおろかな破綻(ただし財政的に)をきたしてしまった。最終的にはおよそ二百六十本、十五時間におよぶフィルムたちが現像を終え、ぼくたちの手元に帰ってきている。とほうもないこれだけの分量のシーンをすっかりと頭に叩きこめる超頭脳の持主は、残念にも、優秀とみずからがうぬぼれるわがスタッフのうちにも只の一人としてなく、まずは一本一本カードをこしらえ、シーンごとにつなぎこむ作業をつづけていった。近頃、ようやくその作業をなし終えたばかりの段階だ。

 与えられた条件の中で、やれる限りの精一杯の仕事をやったと自負はしていても、結果として撮り切ったフィルムのうちには、いやになるほど力不足が眼につく箇所もあるし、対象に引きずられ、撮る精神が撮った対象のあとさきをうろちょろしているだらしないショットも見受けられる。その反面、自分の眼がカメラと同化したかのように正確に対象と感応し、見たい部分をきっちりと見撮れたと信じるに足る部分もある。いずれにせよこのフィルムたちは、やがてぼくたちの熱い想いを精妙に吹きこんだ一本の映像作品に仕上げるつもりではいる。が、いまこの時点で、ぼくたちがなさなければならないなによりの仕事は、一体何がフィルムに写り込んでいるのかそれを正確に見極める作業であり、芝居そのものの本質的理解に到達することだ。そうした検討を自分たちの腹の中にしっかりと咀嚼しておきたいと思う。フィルムの手前勝手な解釈を正当化するためではなく、より透徹したビジョンを呼びさますために。映画的という錦の御旗をふりかざし、その対象がどうあれ、こちらの世界にひきずりこみさえすれば勝ちといった裏目読み映画批評の裏返し的映画製作をやってみてもしょうがないと思うのだ。映画としての対象の解体と統合は必然的に行いはするが、それがなお、対象の真実をゆがめずに保存していてほしいと思う。

 とまあ強がりは言ってはみても、提示される作品を見れば、その力量の底はすぐにも見透かされよう。だからこそ、フィルムとの得心のいくまでの格闘をつみ重ねてみたいのだ。勝算があるわけではないけれど。



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 週一回、4人のスタッフが京都に集まって、編集作業を営々とすすめました。しかし、一年たっても作品には仕上がらず、難産の末、結局、死産となってしまいました。自分ごとでいえば、映像精神がはなはだ甘かった、というほかありません。なんとかなるとはおもったけれど、なんとかするほどの器量はなかった、ということです。

 ラッシュを見ているほうがはるかに楽しく、まとめあげると途端にそのはらみが萎縮する。そこを部分的に突破しても、全体を包括する一貫した展望がおとずれない。そういうジレンマでした。

 結局、このプロジェクトは空中分解し、長くいびつな発酵期間を待つことになります。

 十数年もの沈黙期間ののち、ひょんなところから、わたしの旧作が東京で上映される機会がありました。その風化した作品のありさまを眼にして、自己の現在をあらわす新作をつくらねばとの意欲がふつふつと湧き起こりました。

 しかし、その新作以前として、かつてのこのフィルム群をなんとしてもまとめあげ、ひとまず決着をつけておかねばとの、熱いおもいにうたれました。あらたな気持で映像に対し、多分にいびつなかたちではありましたけれども、そのときの身丈の果て、なんとかまとめあげることを終えました。

 その作業があってゆえ、ほんとうのあらたな一歩を踏み出すことができることとなりました。