不表現という創出過程  

 表現創出の過程には、不表現が重要な機能をはたします。

 それは表現しないことが表現過程に含まれるのだということであり、それは表現しないことが表現になるということでもあります。その部分だけを取りあげると、なにをいっているのそれ、とおもわれることでしょう。しかし、ここでいうところの不表現とは、表現形象化の過程のなかに位置づけられる不表現であり、はじめに不表現ありきではありません。表現するということは表現しないこととの一体のなかにおいて表現形象が成立をみるのです。これが人間表現の特殊かつ正当なありかたです。

 推敲という具体例をおもいおこせば、これはだれにもわかることです。

 ここでは、それを論理的に展望しておきます。推敲という表現形象の最終形態創出までの模索過程においては、表現形象を部分的・全体的にひとたび実現させ、その客体としての表現形象を表現受容し、その受容のありかたの省察のなかから表現形象の修正をおこなうものです。それゆえ、表現形象はひとたび実現をみるとともに、その部分ないし全体を不表現となし、あらたな表現形象におきかえをこころみる作業です。このひとたび創出した表現形象の抹殺が不表現過程です。この過程は、あたまのなかでの形象想像の観念像の抹殺としてもさかんにおこなわれます。これが表現質の向上をはたす役割をにないます。

 映像表現においては、撮影における複数のテイクとその選択における表現の排除、つまりは不表現化過程がそこにありますし、編集においての創出過程において、カットの組み換え等、不表現過程を媒介して表現最終形象が完成をみていくこととなります。

 この不表現の展望は、また時間のあるおりにゆるりとやらしていただくことにいたしましょう。