映画・編集時代のはじまり  

 編集という表現は、光景撮影の描出を単体(ワンショット)にとどまらせず、いくつものショットを複合的にくみあわせて構成するという表現です。

 映画表現の創出過程として、ここにそれがはじまりをみたといっても、はじまりのその当時は、それはまだ単純素朴な構成体でした。
そのショットのつながりの有機的連関は構造性が平板で、ただ時系列的に並び置かれた<ワンショット=ワンシーン>の光景をつらねただけのものでした。簡単にいえば絵本的な構成でした。

 ここでいうシーンとは、ある場面というよりは、ひとつの空間場として認識しえる光景というほどの意味です。

 しかし、この編集というあらたな創作工程の出現によって、劇映画的展望がおおきく映画表現にもたらされ、その劇映画の発展が、映画の表現力をおおきく高めていったのでした。

 ところで映画は、そのほんらいの表現のありかたからして、劇映画――映画のための創出劇の光景を記録・構成した作品――という表現様式だげがすべてではありません。

 おおきくはドキュメンタリー映画があります。ドキュメンタリー映画は、そのカメラまえの被写体自体を創出することはありません。しかし、それは対象の単なる光景記録ではないのです。

 撮影主体(=カメラマンということではありません)の美意識や自然観・人間観・社会観を反映させた選択眼によりその光景を切り撮り、作家の表現世界観を基盤に、その作品としての表現世界を対象化しつつ編集構成することにより、対象世界の真実を表現する。

 そうした重要な映画表現の一様式です。この映画のありかたも、映画考察の埒外とするわけにはまいりません。

 しかしながら、大きなマクロの観点から映画表現の発展をとらえますと、映画表現力の向上、つまりその実力アップは、映画表現の一様式である劇映画の創作活動のなかからその多くがもたらされたことは事実です。

 劇映画のための表現技法の発明や撮影力の向上そして映像構成の深化が、劇映画自体の表現発展としてあるとともに、それがまた映画表現全体の芸術的発展の歴史として形成されてもいるという、重層的な発展過程とみなせる現実がそこにあります。

 それゆえ、この表現発達のすがたを記述するために、ここでは劇映画を中心に語っていくことが、そのあるべき必然となります。

 それでは、初期の撮影+編集=映画のそのはじまりの時代へ、ふたたびひきもどることにいたしましょう。

 しかし、その時代の表現的ありかたを考察するまえに、みつめておきたいことがあります。この時代を発端に、劇映画という映画表現の発展が、観衆の動員をさらにさらにと拡大させていった現実をです。

 この時代、劇映画の表現発達により、その表現進化が観衆のよりおおきな陶酔を誘い、興行的スケールの発展がいきおいよく推進されていきました。

 その興行的成功の発展の継続が、映画表現を産業として根づかせる基盤となり、あらたな表現冒険を、その表現生産全体の部分的生産において可能ならしめる余剰をも、ゆたかにはらんでいったのでした。
ひとつの映画作品の衝撃的な成功は、その表現の可能性に胸高鳴らせるあらたな才能をもった人たちを、この表現領域に引き込んでいきました。

 全体的にあるいは部分的に、過去の作品の表現レベルの凌駕をあらたな参入者たちは志し、作品の質量的な向上と興行的成功が幸福に結びついて実現することを夢想させながら、その若やいだ野心を大きく育み、その表現上のもろもろの冒険的挑戦を実現させていったのでした。

 先人のなしえた表現力獲得はまだ微力なものでした。表現上の工夫がただちにあらたな表現効果を生む、そういう表現開拓の達成しやすい時代でもあったのです。

 映画はまだ幼少の成長期であり、たちまちにその表現スケールを変えてしまう、そういうすさまじい過渡期のまっただなかにありました。

 それに映画はなにより、同じ作品を同質性においていくつもつくれる複製が可能でした。撮影ネガを原盤として反転したポジフィルムを上映するからです。その複製は当然、制作費よりはるかに安く生産できます。興行的には、評判をよべば、拡大して興行をおこなうことも容易に可能でした。ひとつのヒット作品が誕生をみれば、莫大な興行収入がえられるのです。

 映画の興行的成功をもとめ推進させていく心的動力は、またたくまに巨大化していきました。むろんその片側では、冒険の失敗による没落をともないながら、しかし映画表現全体の大きな展望においては、過去の表現限界をつぎつぎと打ち破り、映画は、表現的にさらにさらにおおきな進化と発展をとげていったのでした。

 表現技法に特許はありません。あらたな表現技法の発明とその表現効果は、映画表現に取り組む同業の表現者たちにまたたくうちに伝染吸収され、その模倣をおこさせ、やがて確立された表現技法として、もはや映画表現においてはありきたりの表現と化しながら定着をみていったのでした。


 映画は、撮影=映画の時代から撮影+編集=映画の時代へと移行をみせました。

 しかし、そのはじまりにおいて、ショット(中断のない光景撮影)のつなぎは、まだ素朴なものでした。

 それ自体としてひとまとまりの表現ともみなしうるワンショットの創出光景を、よりおおきなまとまりの観点から構成的展望を与えたといえるレベルの構成でした。このよりおおきなまとまりの観点を与えるもの、それが劇的構成でした。

 映画は、劇的構成をその表現にもちこみ、物語性の構成をはじめに創造し、その全体の構成をいくつかに区分して、その各部を映画劇の創出光景として具体化して、そのひとまとまりづつを撮影していきます。その区分されたまとまりのワンショットを、はじめに構想した大きなまとまりにもとづいてつなぎあげていく、そうした映像構成の映画でした。

 そうした映画=劇映画がつくられ、それが映画興行牽引の主流表現様式となっていきました。

 そのはじまりには、さきにものべたように、そのショット間の有機的な連関の構造性はいたって平板で、また劇といってもサイレントですから表現はアクションだけのもの。その劇的表現性にも限界がありました。

 そのショット構成においては、人間心理をダイナミックに展開させていく高度のショット構成、つまり一場面におけるこまかい視覚分割として表現される、そのショットからカットへの飛躍は、まだまだ想起されることもない時代でした。

 ですからここでの劇映画とは、物語構想から全体の設計をたて、そのワンシーンをひとまとまりのワンショットとして撮影し、それをつなげてともかくひとつの映像構成体として仕上げたもの、そのような映画でした。

 そういう表現レベルでしたが、映画はここで、構想設計という創出段階を、その撮影に先立って十分に組み立てておく必要な段階へと達しました。ここに注目しておきたいとおもいます。

 これは二重の意味において必要でした。

 ひとつは空想段階での構想の推敲と確定の作業をしっかりと対象化するためのものとしてのそれです。もうひとつは、その確定が現実の撮影作業を組み立てるためにどうしても必要なものとしてあるという設計表現の自立としてのそれとしてです。

 映画表現は複雑化し、おおくの人間が一つの作品にかかわるようになってきました。その分担と準備と手配も複雑化していくこととなります。

 かつてはメモやおもいつきというレベルで十分のところにとどまり、いきおい現象的には撮影現場から映画表現のスタートがきられましたが、もはやそれではすまない段階にまで映画表現の協業作業が工程的に複雑化する傾向をみせてきました。

 かくて構想設計という創出のありかたが、おぼろげな創出過程の一体的なありかたからはっきりと分離されて結晶をみせ、それを自立した創出過程として意識させ、その表現の必要性を自覚させるにいたったのです。

 かくして劇映画の出現により、くっきりと、<設計+撮影+編集=映画>というまっとうき創出過程が表現創出過程として意識され、かつ表現現象としても実現されることを推進させていくこととなったのです。脚本の出現もそのひとつのあらわれです。

 こうして映画創出の協業工程が複雑化すると、その全体の創出過程の統括をはたし、その創出の表現質をコントロールする人間が必要となります。カメラマンが、その役割をになうにはかなりに無理があります。もっと専門家された映画作品全体の表現設計と実現を推進する人間が必要です。こうして映画演出家がその専門職としてあらわれてくることとなりました。

 劇映画は、映画演出家=監督が、その作品の表現質を決定づける役割を果たすこととなりました。