ビデオについて    

 わたしたちのまえには、安価な民生用のすぐれたビデオカメラがあります。たとえばDVカメラなど。

 「しぶさん」と略称された4分の3インチのビデオデッキ(これははじめてのカセットタイプのビデオ媒体でした)の時代、そしてそのカセットデッキと一体化させた手持ちカメラが現われはじめた時代からビデオを実地に見知っている人間からみれば、現在の発展はとてつもなく脅威的なできごとに映ります。

 たとえば現在のビデオカメラでは、一度スイッチを切ってのち、あらたにスイッチをいれたその部分の定着映像を再生すると、そのつなぎ部分に映像の乱れは生じません。そのことは、いまでは至極あたりまえのこととして受けとめられています。

 フィルム映像システムの場合、一コマ一コマの空間的位置は、はじめから既定の場所としてすでにフィルム上に規定されており、その箇所へ対象光像を一コマずつ定着させるシステムのありかたですから、もとよりそうしたつなぎの乱れの可能性は原則的におこりません。

 しかし、ビデオテープに信号として、光像の一コマ一コマを、そのコマを規定する信号とともに記録するビデオシステムのありかたの場合、その空間的コマ位置は、コマを確定しつつその光像をも記録するのですから、テープ上に事前にそのコマの規定があるわけではありません。ですから、スイッチをオフしてのち、ふたたびオンにするその立ち上がりにおいて、事前のコマの信号に続けて正確に次のコマの信号を乱れなく継続的に記録するためには、おそろしく精密な記録精度の実現をもとめられることになります。オンの立ち上がり時には、まえのコマの終わりの箇所に、きっちりとテープ位置をとどめ、そこからただちに、あらたなコマの信号を、一コマたりとも不正確な映像信号とならぬよう記録させねばならないのです。これは、マイクロコンピュータの信号制御がなければ、到底不可能なことですし、モーターの精度も、またその制御技術も、格段の進歩がなければ実現をみないことでした。

 編集という段階になると、ビデオはまたやっかいなものでした。コマの信号の継起的授受は、物理的機械的におこなうにはきわめてやっかいな仕組みです。必要カットごとに切断してつなげるというフィルム的編集方法をビデオはとりません(ただし、初期の2インチビデオの時代には、特殊にルーペでコマ信号を確認して切り離すという、おそろしい荒業もありました)。

 原像記録のテープ信号をあらたなテープへ、計画的な編集順位の立案のもとに、媒介記録させて映像信号を移しかえ編集していた時代です。いわゆるリニア編集です。そのつなぎにおけるAデッキのテープからBデッキのテープへと記録信号を授受する方法は、そのデッキ個々のランニングのありかたのコマの同調に微妙なズレがおこります。それを同調させるための電子制御システムを介在させねばなりません。さらに映像信号の移しかえ時点で、いろいろなつなぎのテクニックを駆使するためには、大変な機材が必要でした。ベーター・VHS時代には、かくして編集にデッキ二台は最低必要でしたし、つなぎを乱れずに記録するためには、電子制御のおこなえる、高級デッキを備えねばなりません。つなぎのテクニックを駆使するためには、さらなるシステムの追加が必要でした。

 そうした時代は、ほんの十年ほどまえのできごとでしたが、いまやこうした状況は一新され、まったく隔世の感がそこにあります。

 コンピュータ精度の実力アップとデジタル信号による映像記録技術の発展により、一挙に編集は、ノンリニアでおこなう時代へと移行をはたしました。ビデオカメラとコンピュータによるノンリニアのビデオ映像制作システムは、いまでは20万円もあれば整えられる状況にあります。ハードディスクの量的拡張の進歩と、そのコストパフォーマンスの進化。こうした機材的発展にもささえられ、長編の映像作品の製作さえも、いまでは標準のコンピュータで、さほどの支障なくおこなえるまでにいたっています。編集カットは自由に組み換えることができ、そのつなぎのテクニックも、編集ソフトに応じて多様自在におこなうことができるようになりました。

 その発表媒体をインターネット上にもとめれば、その創作から発表まで、個人が個人の美意識と労力のみで、日常生活のなかにそれを実現し展開しうる環境が、映像表現機器の発明以来、はじめて実現をみる時代が、いま出現しているというべきでしょう。