映像視想メモ(4)  

<映像視想メモ・第4回> 1980年執筆


 友人と2人で岡山の能勢伊勢雄さんに会いにいった。「共同性の地平を求めて」(80・16ミリ)というドキュメンタリー映画が2時間版であるまとまりをみたので、全国で上映を行いたいが、関西の方面はいまひとつよく知らないので、そちらの方でなんとかなりませんか、といった依頼があり、それなら、これまでのお世話になりっぱなしの恩返しに腰を入れて手助けしようかと、下打合わせをかねて岡山へ出かけた。

 能勢さんの本業は映画館の映写技師であるが、自宅の階下に“ペパーランド”という喫茶店をも経営していて、われわれ映画に魅入られた輩には、そこがまた、たまらない店ごしらえになっている。映画のポスターがベタベタ貼りつけてあるとか、映画の雑誌が散乱しているとかといったマニアチックなところは一切ない、とても落ちつきのある普通の喫茶店ではあるのだが、店の一隅にはガラス窓のはまった映写室がきちんとしつらえられてあり、いつでも映画館となりうるようはじめから設計施工されているからだ。

 喫茶店での上映会というのは関西でもしばしば見受けられるが、急ごしらえの映写台で設置が悪く、中途で来店するお客さんの頭や肩で画像が切りとられたり、横向きの椅子に腰をかけ、首を90度もねじ曲げて画面に見入るため疲れることが多いとか、映写環境として好適の場所と思われるところはきわめて少ないのが現状ではないだろうか。
 その点この“ペパーランド”は、見ようによれば、映画館を喫茶店仕立てにしたものといってもさほど誤りとは思えぬほどの立派なつくりになっているし、上映会を催すおりには椅子席をスクリーンに向けて並べかえ、20〜30人ほどが鑑賞できる会場につくり変えてしまうのだ。

 その会場で「共同性の地平を求めて」を見せてもらった。

 岡山大学のドイツ語講師であった荻原勝氏に焦点をあて、岡大の70年闘争とその同時間軸にあった事跡や記憶・思いといったものを並列させながら、造反教官と呼ばれた荻原教官の語りを中心として、氏が大学を退官するまでを、その背後をなでるようにドキュメントした作品だ。映画のできそのものにはあれこれと文句をつけたい部分もあるが、ぼくが言い切れる一点は、誠実な痛みに包まれた作品である、ということに尽きるだろう。できるなら一度きりの観客としてではなく、何度となくフィルムと対話を重ねることが、とくにこの作品には、につかわしい観客の仕事だとぼくには感じられてならない。なによりも、なにごとかを耐えているかのような萩原教官の風貌とその語り口調には、ぼくの胸をするどくうつ深さがあった。


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 ペパーランドの映写スペースは、そうですね、大阪・梅田の上映施設「プラネット+1」より広くて快適というところでしょうか。東京・国立の居酒屋兼上映スペース「キノキュッヘ」ほどの広さと、そこに映写室が完璧にある、というフォルムです。その後、岡山には足繁く通っておりませんので、現状はまったく不明。あくまでもその当時の記憶です。

 前々回に登場したオルフェの袋小路主催で、京大西部講堂において、この作品の上映会が、このあとおこなわれました。

 萩原教官は造反教官。この教官にまた造反する学内の御方がおりました。それが西部講堂にまで押しかけてきたのです。首にプラカードを吊るし、上映阻止の座り込みなんぞをやらかし、上映前に不穏な空気がただよいました。時代のなごりですね。

 そのバカとどなりあったおかげですっかり喉をつぶし、翌日の会社の研修会で大失態を演じた記憶が、いまも生々しくよみがえります。いまとなればそれは、「おもろい体験」という記憶倉庫に移管されるものとなってくれはしましたけれども。