映像視想メモ(2)    

<映像視想メモ・第2回>(1980年執筆)


 オルフェの袋小路が主催した上映会“夏の夜のシネマ流星群”は、久方ぶりに主催者のすさまじいエネルギーがこちらの側にヒシヒシと伝わってくる心うれしい上映会であった。8月29日から31日にかけて催されたこのビッグな上映会のうち、ぼくは30日の夜半から31日未明にかけてのオールナイト上映会へと出かけたが、10時の開場を前に、われこそはと意気ごむ五十人ばかりの映画狂たちが、しょぼ降る雨の中にじっーと開場を身構えており、えもいわれぬ緊迫した熱気が場外にたちこめていた。西部講堂の、いつもはひときわガランとした空間が、開場とともにまたたくうちに人・人・人で埋まり、二百人余りの映画狂たちの熱いまなざしをスクリーンに凝集して上映会がカタコトとはじまった。

 オルフェの袋小路の上映会を見にいってひとしきり感じたのは、単に作品を集めて見せたというそこらの上映会とは異なって、“これだけのフィルムは何がなんでも見て貰わなければ困る”という脅迫めいたメッセージを感じさせるほどの、映画に対する熱い思いに満ちあふれていることである。なによりも作品の選択基準があらかたしっかりとしているし、プログラムそのものが主催者の映画への視線を無言に示している。

 多くの作品と実地にまみゆることがなければなにをどう選択するのかという判断が下せないし、作品と自己の思いとを闘わすということがなければ鑑識眼が磨かれない。そうした眼に見えぬ骨の折れる作業を地道につみ重ねてこそ、主催者の心意気を感じさせる上映会となりえるのだとぼくは思う。作品名を数多く知り、いくばくか眼を通したというだけで、一向頭の中を通過していなければ、みずからの姿を垣間見させる上映会は開けやしないだろう。

 そうした熱い思いに引きつけられるかのようにして、この“夏の夜のシネマ流星群”を彩った流清たちは、たとえばこんな顔ぶれであった。

 メリエスの「月世界旅行」がある。ロベルト・ウィーネの「カリガリ博士」もお出ましだ。アレクセイエフの「鼻」がやってきているし、ケネス・アンガーの「人造の水」もカレル・ゼーマンの「悪魔の発明」の顔も見える。「ファンタスティック・プラネット」も特別参加。それにあいつもこいつも・・・・・・。

 かくして、その夜登場した21作品の顔ぶれは、総体として実にファンタスティックであった。

 げっぷをすると口から映像が飛び出すほど、その夜のぼくは映画をしこたま喰べ込み、しばらく身動きがとれないほどであったが、満足感だけがいたく後味として残ったこの夏の終わりのさわやかな鑑賞体験であった。



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 「オルフェの袋小路」というのは、京都の京大西部講堂を拠点に上映活動をおこなっているグループで、現在も息長く活動を継続していらっしゃいます。

 執筆のため一ヶ月の間、あちこちと自主製作映画作品の鑑賞にわたり歩くのですが、どうしても、書きたい作品・書くべき作品があらわれないことがあります。とても困ります。

 書くことも苦手でしたが、書くべき作品を探し当てるのも、また大変でした。それで自主製作映画のめぼしき作品が見つからないときは、こうして上映会をネタにしたりしてお茶をにごしておりました。編集者には、よく文句やいやみをいわれましたけれども。

 この執筆枠は、タテ16字・ヨコ68行でした。この回から意地のように、一行も余らせず、きっちりと文字を埋めてやろうと取り組みました。それが、わたしの文章修業になってくれました。

 無理にでも制約を与え、その自己制約内で表現格闘をおこなうことは、他分野の表現にも役立つ訓練のひとつだとおもいます。

 それでこの文章力?といわれると、恥じて、穴に入るよりほかありません。文才はもとより絶無というしかないレベルです。つまり、これでもマシになったというところ。小中学生時代は、原稿用紙一枚も埋められなかった人間なのです。いやはや。