背のびしてミューズの蹠(あし)をくすぐらん
ある映画本をひもといていると、昭和17年の、さる劇映画の打ち上げ写真におもわぬ人物が写りこんでいて、頬がたちまちほころんでしまいました。川島雄三が写りこんでいたのです。松竹の助監督時代のスタッフ写真でした。
そうか、この作品の助監督をやっていたのか、と気づかされるとともに、急に川島雄三を懐かしむ気持がみちあふれ、もともとの目的はその時点でたちまち放擲。あらためて川島雄三について語った書籍をひっぱり出して読みはじめてしまいました。
一も二もなく好きなのです、川島雄三が。最高の映画監督だとか、尊崇の念を抱くとか、そういう対象ではないのです。「虫が好く」というやつです。ただただ敬愛してやまないのです。
むろん、ものすごい演出技術をもった監督です。『しとやかな獣』のカット割りなど、その部分だけに心を集中して、なんどなんどと見返していますが、そのたびにほれなおしてしまうほどです。
そのレベルですべての作品をつくっていたとすれば、間違いなく名匠です。そういう力わざを備えた監督なのです。が、またその片側で、どうしようもない映画もつくってしまう監督でもありました。
後年の演出力量が練り上げられる以前のことではありますが、今村昌平の言から。
「僕は荘重深刻なセットで有名な小津組の専属でしたから、川島組で『想惚れトコトン同志』(昭27)などと世にも不可思議な写真についた時はびっくりしましたね。世の中には殆んど駄目な監督も居るものだと絶望の余り、一時は世を儚んだものです」
なんだか、お尻の力がぬけてしまうような的確なおことば。後年の協力者であり深い理解者ともなる今村昌平にとっても、はじめのころの印象は、こんなところでした。
この作品は岸恵子が主演しているのですが、その本人が、「ああいう映画に出るのは死ぬほどくやしい」といわしめたほどの、その意味ではものすごい作品です。どうしようもありません。
本人の言から。これはかの令名を高めた『幕末太陽伝』以後の作品についてです。
『人も歩けば』(昭35)を語ってひとこと。
「これはもう、負け犬でございます。」
ああー、と溜息が洩れます。でもなにか、なにか傷みが胸をおそいます。見るべき深淵は見つめている、そういう人物像が直観されます。そうした自傷の傷みを胸にいだきながら、そのことを韜晦させてしまうほどにデリケートなものをひめている。そこがたまらない魅力なのでしょう。
川島の有名なことば「生きることは恥ずかしいことです」
ふーん、ほんまにそうか・・・・、嘘つけ!とおもうのでもげすが、やはり心の底に痛いものがとどきます。そういう世界を持ち、そういう生活を生きた人だったからでしょう。沁みますねともかく、わたしなどにはとくに。
軽佻浮薄、あこがれております。軽佻浮薄にも荘厳鈍重にもなりきれないままにおりますが。
川島雄三の句、これがまた魅力です。
「此の恋や思い切るべきさくらんぼ」
わが仲間うちでは、圧倒的に支持をうけている句です。いいですね。心象移行の飛躍のなかに、軽いめまいすら覚えます。カットつなぎの編集の極意を教えられました、わたしなどは。
でもわたしは、もうひとつの句がとても好きです。
「背のびしてミューズの蹠(あし)をくすぐらん」
おおー、川島やで!とわたしはおもいます。
「背のびして」このことばに日常が反映いたし尽くしております。「ミューズの蹠」その志のありかた。「くすぐらん」自分をもミューズをも含んでの、そのビジョン、いいですね。
傷みの自覚と、その韜晦。川島の粋(いき)がそこにひめられているように感じます。
川島演出に関しては、森繁久弥の名文というほかないすぐれた短文があります。いままでなんど読んだことでしょうか。劇映画演出の現場の真髄が語りつくされて余蘊がありません。おそるべし森繁、おそるべし川島。
<演出 森繁久弥>
――しげさん、ちょっと厄介だけど、次、ワンカット終わりまで、
――こんなに?
――そう、やってみて――
間
――はい、じゃ、テスト、ヨーイ、スタート
――(森繁懸命の芝居)
――カット、何分あった?
――三分四十秒です(スクリプター)
――あの、おしまいのとこもう少し・・・
――いや、とてもよかった、面白かった・・・あのね三分四十秒だって・・・
――はァ
――今の一分半でやってくんない
――え? 全部を?
――そう、自分で考えて
――じゃ、思い入れのとこ・・・
――いやいゝと思うとこ全部で・・・
――それで一分半?
――えゝ・・・じゃ本番いきます
――ちょ、ちょっと待ってよ
――大丈夫、一分半でね・・・・・・ヨーイ、スタート
――(森繁車リンの芝居)
――カット・・・・・・何分?
――三分十秒です(スクリプター不安な顔)
――O・K
ノーベル書房「サヨナラだけが人生だ」より