映画に関する私的な6つの断片ノート  

 すこしまえに掲載した「8mmの視界」の延長上です。

 その文章を掲載したミニコミ紙の主催者が、関西圏で活動しているマイナーな表現者たちの知り合いを総動員して、単行本をつくる企画を立てました。わたしあてにも執筆依頼があり、スペースのゆとりもあったので、すこし長めの文章を書かせてもらいました。本の奥付をみると80年7月の出版となっています。

 いまの眼でみれば、「ちょっとちょっとあなたねぇー、それはいくらなんでも脳天気」といいたいところですが、まあ、アホほどのくそまじめさだけは買えるというあたりです。そのあと、ふまじめさをしこたま勉強させられたおかげで、どうにかものになったのかもしれません。

 編集者の依頼で本文のあとに略歴を掲げましたが、ここでは省略いたしました。



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<映画に関する私的な6つの断片ノート>



1.映画とは何か?

 映画とは何か? この根源的疑問が僕の貧弱な脳髄にどっしりと腰を据えて丸10年がたった。そのあいだ、映画の地平が少しは見渡せる地点に足を踏み入れているという実感がこの僕にはあるのだが、そのことを自身にとことんつきつめて問いただしてみると、畢竟なに一つ解決の糸口が見い出せないでいる自分につきあたらざるをえない。

 従来、自分の頭の中を有象無象に埋めていた映画に対するちっぽけな幾多の疑問は、いまや、もっとも根源的な唯一の大疑問中に包摂されて騒ぎ出すことをやめてはいるのだが、さて、その根源的疑問はとなると、ちょうど禅の公案に懸命に取り組んでいる禅坊主同様に、僕の頭の中一杯にところ狭しと拡がった大疑問が、その外へ一歩も足も踏みださなくなってしまっているありさまなのだ。僕にとって、この疑問は、いわば答えのない疑問といってもよいものではあるのだ。それゆえ、『魅せられたるものにとって、映画は永遠の謎である。』とでも居丈高に言いはなってほくそ笑んでいれば、それでことすむかもしれない。しかし、僕はいつか、この根源的疑問に僕なりの主体的解決の糸口を見い出さねばならないと思いつめてしまっている。

 “主体的解決”そう、それこそがもっとも肝要な一点であって、それは、いかなる映画知識によっても満たされることはなく、他人の映像を分析解体することによっても解決の糸口は見えはしない。いささか神秘的言説を弄すれば、映画全体の展望が僕を襲ってくれることこそが大切なのだ。

 僕は、映画のものしり屋になろうとは思わないし、映画の理論家になりたいとも思わない。ただ、自分の映画が自分の身体の中で、動き、働き、それを自身の手でつかみとりたいと願いつづけているだけのことなのだ。なぜそれが、こんなにも困難なことでありつづけるのだろうか。

 ことわっておくが、シャッターを押しさえすれば、回ったものはすべて自分の映画ではないかという、なんの自省の契機も通過しない幼稚な発想にだけは、僕をわずらわさないでほしい。“自分なるざるもの”が見えていない人間に、どうして“自分なるもの”が見えてくるものか。

 そうした自己否定の闇をくぐりにくぐり抜けて、いつか幸福な季節の風が僕にも吹きわたってくれたなら、自身の内にすでに宿っている8ミリ映画の入門書を、表に引きずりだすことができるだろうにと僕は思う。とりあえずいまは、このことを僕自身への大きな宿題の一つにしておこう。そのときにはきっと、“映画とは何か?”というこのしょっぱなの問いかけへの僕なりの解答を、その本の中に埋めておくことにしようと思っている。



2.映画の基底としての映像

 “映画は映像によって成り立っている。”奇妙に聞こえるかもしれないが、こんな自明のことをあえて持ち出さなければならないのは、そうした自覚のもとに映画を捉えていける人が、ことのほか少ないからにほかならない。誰が言い出したのか知らないが、“映画は総合芸術である。”などという戯言に、みんなが踊らされすぎているのではないだろうか。

 映像は映画の一要素ではなく、なによりも、その基底の問題として捉えていかなければならないもののはずだと僕は考える。なぜなら、映像というものを映画から奪いとれば映画はなりたたないが、ストーリーや演劇性や音楽や、あるいは映像の脈絡を無視してさえも、映画は映画として自立していることがあるのだから。

 映画論の中でもフォトジェニー論とは元来そういうレベルの議論なのだ。それが、モンタージュ論という映画作品の構造性を論じたレベルの議論と比肩されて、大真面目にその得失を論じている姿などに出くわすと、思わず僕は失笑してしまう。分かっているようで肝腎のことが見えていない。

 このことは、僕にとって決してよそごとではありえない。映画をその全体像において捉えようとする努力を怠り、自己の経験のうちに映画を矮小化してしまう危険性を僕自身が一番にはらんでいる人間なのだから。

 ともあれ、“映像は映画の基底である。”という基本認識だけでもきっちりと踏まえておけば、映画全体の問題を劇映画中心に歪めて語ってしまうという落し穴には陥らずにすむことだろう。映画は、映像という、いわば定時性の視覚体験をベースとして成り立っていることを、ここではっきりと確認しておきたいのだ。

 そのことを踏まえたうえで、映像にどのような形態の密度を与えていきたいのかという作家の意志の問題として、作劇術や、写真術や、音楽等々の諸要素の融合があるのだという視点にたつことが大切だと思う。

 それゆえに、映画創作の基礎命題として、まず映像そのものに映像感受者(=観客)の胸をゆるがす喚起力がそなわっていなければ、映画はその根本的な力を失ってしまうことをはっきりと心得ておく必要があるだろう。

 発想や観念だけにおぼれて、映像化の過程をおろそかにしてしまうというのは、どう考えても映画以前の問題意識の欠如だといわざるをえない。映像を言葉で粉飾してみたところでどうなるものでもないのだ。映画になってくれるところでこそ、みんな血を流してほしい。それに、映像自体に内包されている力をもっと信じるべきではないだろうか。己れ自身への人一倍の反省をこめて、そのことを心に深く刻みこんでおきたいと思うのだ。



3.映像感受性について

 ストーリー展開を表皮とした劇映画を見慣れている人たちには、イメージフィルムというふるいわけをされているわれわれの映画が、分かりにくいだとか、ひとりよがりだとかいう風な受けとりかたをされている向きが多いように思う。僕自身、映画を撮りはじめたそののっけのところをふり返ってみると、どうやら同じような考えを抱いていた様子だし、映像というものが元来曖昧なもので、受けとる側の主観によって大きく受容体験が異なってしまうという考えにまとわりつかれて、不安を抱いていた一時期がある。そうした考えが頭の片側を占めつづけながらも、自分の映画というものを求めつづけ、多くの映画受容体験をつみ重ねるうちに、映像自体に内在する喚起力に心震わされるという映画の根本体験を通過して、映像がどうにでもとれるような曖昧なものでは決してないという逆否定の形で胸の内に安らいでいった。

 そんな風に映画が見えてきた理由の一つには、われわれの映画を主観的だとかひとりよがりとか決めつけている当の本人が、意想外に映画そのものに触れることなく、その中からテーマや思想性を拾いだしてはひとりごちている姿に多く出くわしたことにもよるのだろう。映画を自己の側に手前勝手に引き寄せ、映画の側にはその身を一歩も近づけずに、安全地帯に自らを置いて、滔々と映画を語っているふりをしている無邪気な輩にすぎないと僕は気づいたのだ。

 彼等のいう<分かりにくい映画>というのを見渡してみると、おおかたは、ストーリーやテーマというとりつく表皮のない、いわば裸身の映画そのものであって、そういう映画、たとえばスタン・ブラッケージの『ドッグ・スター・マン』などに出会うと途端に彼等の脳髄は混乱を起こし、「これが映画か?」とつぶやき出すのだ。

 結局のところ、この人たちは、“映画に対する直接的な読解力=映像感受性”と僕が呼ぶ、映画を見るうえでもっとも基礎的な感性が磨かれていないにすぎないのだ。

 映画というものが、確かな映像体験のうえに語られるものであれば問題はないのだが、ストーリー展開のうえにおっかぶさって映像を受容してゆくという逆立ちした眼で映像を捉えていくため、一度そうした屈折した回路を経過せねば映像を受容できないという、ある種自己疎外された感性を担ってしまっていることが問題となってくる。

 テーマがどうとか、思想うんぬんを語り出すまえに、映像のニュアンスが汲みとれるほどに、自己の映像受容体験が確かなものであるかいなかだけは、自分自身しっかりと見きわめておかなければならない問題だと僕は考えている。



4.70年代の極私的総括

 60年代にその芽を吹き出した実験映画群は、70年代にはアンダーグラウンドセンターに象徴される精力的な上映・創作活動を展開し、多くの人間たちの熱情と労力に支えられて、着実にそのイカリを海底に沈めていったかに見える。側面では、テクノロジーの眼を見はる進歩や経済的余裕も手伝って、撮る人間は著しく増えつづけていった。

 そうした状況を反映してか、現在の自主製作映画群の製作本数の多さには、いささかうんざりするほどだ。そのすべてに眼を通すことなど、もはや不可能事となってしまった。CFや企業映画を含めてのメジャーの年間製作本数を自主製作映画の製作本数が凌駕している時代なのだ。

 しかし、単純に、量的なものにばかり眼を奪われてはいられない。この10年をふり返ってみても、一体どれだけの作家と作品が生き残っていることだろうか。いや、残っているというものの、たまたま運よく厚かましく生き残っているにすぎない僕のような手合いもいることだろうから、あまりあてになりはしない。やがて、歴史のふるいが、確たる審判を下してくれることを信じるほかはないだろう。だが、もはや消え去っていった作品や作家には、それなりの理由があることと僕には思われてならない。なにが、彼等の情熱の歯車を摩滅させてしまったのかと。

 僕はこう思う。おそらく、作家の内側に大いなる精神、創り続けていくことへの対自的意味を自覚的に見い出すことができなかったのではなかろうかと。そのことを想うにつけ、カラばかりどでかくて内実の伴わない現今の肥満児的自主製作映画状況は、砂上の楼閣がごとき危ういものに思われてしかたがない。もはや、撮る人間がどれだけ膨れあがろうが、それだけでは、ことはなんらの進展も見せはしないだろう。本人の自覚以上に、病巣の根ははるかに深いのだから。


 この10年、70年代の総括を僕なりの視点でひっくくってしまえば、

 “フィルムは実験した。だが、作家の精神はなんら実験をとげていない!”

ということに終始する。

 なるほど、今までにお眼にかかったこともない新たな技法を盛り込んだ新たな形態の作品には、幾本となく出会ったという気がする。しかし、その新たな形式を満たすべき作家の新たな精神は、どこにも見えはしない。アイデアが映画を支え、その形式的実現にのみ多大な労力は費やされ、そこに立ち現れるべき作家の精神は影をひそめている。小手先の小細工ばかりが上手くなり、はりぼての中味を巧妙にオブラートしながら、こちらの胸をゆるがす巨大な支柱を欠いてしまっているのだ。

 なんのために新たな映画形式への模索があったのか。それは、新たな精神が古い容器からは満ちあふれたためではなかったのか。新たな精神がフィルムに息づいていなければ、新たな技法は、単にフィルムの視覚的形式的実験にすぎなくなるではないか。

 それゆえに、いま、映画創作の対自的意味をこそ明確につむぎ出さねばならない時節に直面しているのではないだろうか。

 “映画をつくるものたちよ、自らを問え。”

 映画が好きだからという理由づけは、動機ではありえても震源地そのものではないことを深く考えてもらいたいのだ。真の自己の映画を実現するためにこそ。



5.80年代の映像環境

 おそらく、ここ数年のうちには、ビデオカセットレコーダーやビデオディスクといったテレビ受像機に直結した映像再生装置が、加速度的に一般家庭に普及していくことだろう。再生装置の普及と相俟って映像ソフトの販売や購入が日常化し、家庭の再生機でそれを見るということがごくあたりまえのことになってゆけば、見たいときに見たい作品を見るというもっとも望ましい映像環境が、長い映像の歴史のうえでようやく実現される運びとなる。

 こうした環境は、映像ソフトの私有化ということが個人の経済的支出で無理なくまかなえるという条件のもとに、はじめて可能となることだ。いまや、われわれの映像環境は、そうした新世紀の幕開けを迎えようとしているのだ。だが、それは、あくまで映像のありうべき基礎環境がどうにか成立する段階に至ったという、新たな出発点としての視点から捉えるべきだと僕は思う。思えば、いままでの映像環境があまりにもむこうまかせでありすぎたのだ。

 これまでの映画やテレビの映像媒体は、ほとんど一方的な受容媒体としてあり続け、自分の見たい作品(その作品自体が欲している場はひとまず考えないこととして)に出会うためには、興行のおこなわれている上映会場に足を運ぶか、決められた時間にテレビの前にかじりつくかしなければ見るということ自体がかなわなかったのである。一旦見逃してしまえば、ヘタをすると永遠に見ることができないかもしれないというのが、われわれを取り囲んでいるこれまでの映像環境であった。

 見たいと欲するときには、その作品と出会う機会がすでに失われてしまっている。そうした不幸な事態に立ち至った人はことのほか多いことだろう。ともかく映像というものは、この眼で見ないことには話にもなにもなりはしないのだから。現に、いにしえの名作と呼ばれる作品の大半が、そうした環境のうちに埋没してしまっているではないか。それゆえに、いつの日か見たいと欲する作品と幸福にめぐり会うまでのひたすら長い忍従の時をすごすか、あるいは多大の労力を費やして自ら上映会を催すか、そうでもなければ作品と出会うことさえかなわないだろう。

 フィルム・ライブラリーというものもあるにはあるが、施設がごく限られているうえに、形態的には興行という方式にのっとているため、見たいときに見たい作品を見るという個人々々の恣意性がかなわないという点において、図書館とは大きく異なった機能しか持ちあわせていない。

 映像ソフトの販売が日常化し、映像ソフトの私有化、さらに個人コレクションへとすすんでいけば、興行を中心としたいままでの映像環境とは大きく異なり、現在のレコード環境に近い形態として映像環境が各個において成立していくことになるだろう。

 そうした環境を背景として、映像に対する認識と、その受容体験の総体的変化がすすむことだろうが、僕にはそのことがなによりも重要なことに思われる。

 これまでの映像は、特殊な好事家を除いて、原則的には一回性の視覚体験をベースとして成立していた。しかし、映像の私有化を前提とした映像作品は、一度限りでなく幾度となくくり返し見る場がその環境として設定されているのである。このことは、誰が、いつ、どこでといったような説明的要素を映像から省略していく大きな推進力となることだろう。感覚的、抽象的な映像がより受容しやすくなり、映像から直接的なバイブレーションを感得する人間が次第に増えていくことと思う。

 自己の自由な時間に映像を体験するという場合を考えたとき、おそらくそこでは映像の受容時間の単位にも変化が見られ、LPレコードなみの時間単位、すなわち一プログラムがせいぜい20〜30分に納まり、その分高密度の映像が欲求されてゆくようになるのではないだろうか。

 映像の評論分野にも少なからぬ影響を与えることだろう。いままでのような記憶に頼った印象批評を脱皮して、映像に即して映像を語る作品批評の展開が可能となる契機を担っていくものと僕には思われる。

 納得のいくまで見たいところを見たいだけ見れるという新たな環境のもとで新たな映像感性が磨かれ、その環境により相応わしい映像を創造していく才能の持主が出現することだろう。われわれの映像再生装置をその標的とした新たなるプロ作家にお眼にかかる日も、さほど遠からぬ未来のことではないだろうかと僕はひそやかな期待を持って待ち望んでいるところだ。



6.8ミリの認識


(A)8ミリの歴史的意味

 歴史的にみれば、8ミリは、いままでの映画史のその末期に登場したもっとも小型化された映画システムの一つである。8ミリは、映画製作の大衆化のみ旗のもとに、コダック社によってはじめて世に送り出された。しかしそれは完全な意味での8ミリとは言い難かった。なぜなら、8ミリが商業的ベースに乗る商品でありうるかいなか、コダック社にも充分な予測がつきがたかったため、8ミリとしての独自のフィルム様式は考慮されず、既成の16ミリフィルムの送り穴を倍加してフィルムの半面ずつを往復撮影するという、変則的なシステムを採用したからである。そのため、画面サイズに比して極端に送り穴の大きいダブル・エイトと呼ばれる8ミリフィルムが誕生した。コダック社の懸念にもかかわらず、8ミリはその後大きく普及をとげ、その片側では、機械技術の急速な進歩、とりわけ電子機器関係の発達がめざましく進んで、8ミリの新たな様式を求める土壌が、ユーザーとメーカー双方に次第に形成されていった。

 1966年、コダックのスーパー・エイト、フジフィルムのシングル・エイトが同時期に出現する。8ミリが真に8ミリとしての様式を持つに至ったのはそれ以来のことと考えて間違いはないだろう。

 定速一秒間16コマ送りであったものが18コマ送りへと変わり、フィルムの送り穴は8ミリを支えるのに充分な大きさにまで縮小され、そのためフィルム面に占める画面の比率が約50%拡大した。さらに、フィルム感光乳剤の改良も進み、画質が飛躍的な向上をとげるに至った。また、フィルムを拡大投影する映写機も日増しに改良をつみ重ね、とくにランプの質が画期的に高まり、100人程度の上映会は優にこなせる能力を持ちうるまでになった。フィルムは、スプール巻きの裸フィルムから密封されたマガジン形態へと変わり、フィルム装填の面倒さがすっかり解消されてしまったし、露出もフィルム感度と連動して働く完全自動機構となって、小難しい理屈や面倒な技術を習得していなくても、適当な光量がありさえすれば、シャッターを押せばどうにか写るという、一昔前までは考えられもしなかった時代がやってきた。

 シングル・エイトが登場したときの“私にも写せます。”というキャッチフレーズは、光学知識やメカ機構に弱い人でも、あるいは体力的にハンディのある子供でも女性でも、誰でもが映画を作ることができる時代がやってきたことを端的に示している。この地点において、映画は真に万人にその入口を解き放ったメディアとしての地位を確保しえたといってよいだろう。

 8ミリの発展について長々と言葉をついやしてきたが、ここでは、その歴史を語ることが主目的ではない。そのような発展のあとを辿りながら、映画を個人的な媒体としたいと願う大きな地下水脈の流れが、映画史の底をひそやかに貫流していることを認識してもらいたかったのだ。

 8ミリが登場するまでの長い道すがら、映画作品は、その発生のはじめから大衆のものであり続けたけれど、映画製作は、フィルムだけをとってみても膨大な製作費がかさみ、容易に大衆のものとはならなかった。8ミリの出現によって、映画は一部の専門屋の呪縛から解き放たれ、個人的なるものをベースとした映画づくりが成立する可能性を持つことができるようになったのだ。

 スーパー・エイトやシングル・エイトによって8ミリが新たに蘇生して以来、そのことがより顕著な展開を見せるようになってきている。しかし、それは1966年にその新たな扉が開かれたにすぎない。8ミリの真価が、創る側にも見る側にも十二分に自覚されえるまでになるには、まだまだあまたの時間を要することなのかもしれない。


(B)8ミリの自立

 8ミリということを口にすると、よく16ミリや35ミリと単純に比較されて、その欠点(?)、たとえば画質が劣るとかネガ撮影による後処理の映画技法が使えないとか、いろいろ並べたてられることが多いけれど、そういう人たちの大半は、16ミリや35ミリの世界から8ミリを見渡しているため、8ミリ独自の世界がよく見えてこないものらしい。

 画質の点からいえば、たしかに8ミリは16ミリや35ミリに比べ当然のことながら粒子も粗く、さらに専門的にいうなら、標準レンズ系の焦点数値が低いため焦点深度が深く、一様に奥行きを欠いて写り込むという特徴がある。しかし、そのことを基準点として8ミリの得失を論ずるのは、あまりにも性急にすぎると僕は思うのだ。少なくとも、現在の8ミリの画質は映画創世紀の35ミリよりははるかにより写り込むし、だからといって、より密度が高く写り込むことが、映画そのものの質を高めるわけでは断じてないのだ。要は、作家がどのような映像世界を欲しているのかということがなにより大切なことであり、その実現のために、自分の欲している世界を撮り切れる機能を持った映画システムを選択し、それをいかに創造的に駆使していくかが、創作の鍵を担っていくのだ。

 そうした視点から映像の質感についてあれこれと思いめぐらしてみると、質感を弱めることによって、逆に新たに浮かびあがってくる視覚美があることが認められるだろう。

 たとえば、8ミリでよく使われるテクニックの一つに再撮影技法というのがある。一度現像し終えたフィルムを映写してそれを新たに撮影しなおすテクニックだが、ネガフィルムやオプチカルプリンターのない8ミリでは、よくお眼にかかる技法である。この技法は、おもに時間の変質を行う作業として使われることが多いが、それよりも、再撮影によって映像の質感を弱めることにより、原映像とは違ったニュアンスを創造してゆくテクニックであるところに深い意味があると僕は考えている。細密画のような緻密な描出によってあらわれてくる世界もあれば、鉄斎のような大胆素朴な描線によって浮かびあがってくる世界もある。

 それゆえ、映像の解像力が高まれば写し込みたいものまで素直に写り込んでくれるものと信じこんでいるような機械的志向性は考えものなのだ。

 8ミリには8ミリの、16ミリには16ミリの、35ミリには35ミリのそれぞれに、独自の映像視覚美がある。なによりもそのことを、はっきりと自覚しておいてほしい。少なくとも、16ミリや35ミリの真似ごととして8ミリを使うことだけはなんとかならないものだろうか。8ミリで撮ると決めたなら、8ミリでこそやりとげうる独自の映像世界というものをしっかりと見据え、作品として結晶化させてゆこうとする取り組み方をしてもらいたいものだと思う。

 フィルムの背後にそんな気魄を感じさせてくれる作品を眼にする機会が、事実として、あまりにも少ないのは、なんとも淋しい気がしてならない。


(C)8ミリの可視界

 8ミリは、そのちっぽけなファインダーに反比例して広大な映像視界を包含している。それは、8ミリがもっとも軽量の映像撮影機材であり、造作なく持ち運べるため、フィルムに写し込みたいと願う現実時空間に遭遇する機会を、16ミリや35ミリよりもはるかに広範にかかえこんでいるからである。

 私的な分類によると、映画の製作法には、大きく分けて次の二通りの方法が成り立つと考える。

 一つは、一般の劇映画に見られる演繹的製作法であり、これはテーマや訴えたいことがらがはじめから明瞭であるとき、その訴えたいことがらを映画的にイメージ展開してゆき、映画化をはかってゆく製作法である。

 いま一つは帰納的映画製作法であり、撮りたい、あるいは撮らなければならないという強い内的衝動にかられて撮影されたフィルムの中に、自己を発見し、世界を発見し、動機の内に秘められたみづからのテーマを自覚化しながら映像世界を深め、組み立ててゆく製作法である。

 前者には能動的な創造性が強く働き、後者には対象との出会いの瞬間に直観的に働くインスピレーションに重点が置かれる。前者は主題が出発点であり、後者は主題が帰着点である。

 もちろん、実際にはこの二つの製作法が、現場々々で織りなされて撮り進められるのではあるが、8ミリの視界というものを想起したとき、帰納的製作法にこそ、より広大な可能性としての視界が開かれているように僕には思われるのだ。

 8ミリフィルムの経済的な負担の軽さが、ここでは有意に働く。8ミリは、一般には、資金の回収を前提にせずとも製作を続けてゆける基礎的環境があり、それゆえ、製作の目的が多様に成立し、かつ内的制限のない自由な創作を展開することが可能となるからである。

 極端に言えば、自己自身のためだけの映画づくりも可能であり、また、いつ終えるとも知れぬ作業に向かうことも可能だ。

 そうした作品は、日記と同様に社会的な言説として飛交う作品としては成立しえないかもしれないが、映画づくりを行うことによって、自己世界を深め、自己の主体性を確立していく行為として意義あるものとなりうるのではないだろうか。自分というもっとも大切な観客にとって意味ある作品であることは、その作品が存在しえたなによりも重要な理由なのだから。