道元のことば     

 わたしの理論上の師は、以前に書いたように三浦つとむと南郷継正です。

 むろんそのほかにも、わたしには多くの私淑する師というべき方たちはおおくいました。とくに専門の映画・映像分野では、それこそいくたの監督・作家に、その作品を通じて、おおくの教えを受けたことは当然のことといわねばなりません。

 そして専門分野外においても、またいくたの先達に、ゆたかな恵みをうけることができました。

 そのなかでも、特筆してすさまじく、わが精神をゆるがせ、この精神の奥深く透徹してそのことばが浸透してきた存在は、道元禅師でした。

 若き日です。初夏の暑いある一日、とある会社の外交に席をおいていた昼まっさかりのとき、外交におもむいた先のすぐ近くにあった公園のベンチにわたしは坐っていました。藤棚の影のもと、しばし涼をもとめていたのです。

 そのころのわたしは、映画作品の表現も、また映画表現そのものへの思索も、暗中模索どころか、どんづまりもどんづまり、切羽つまった状態にある時期でした。その暗黒の苦境を突破する曙光をひたすらもとめていたのでしょう。

 『正法眼蔵随聞記』をひもといていました。師道元の説示を弟子懐奨が記録した書物です。ベンチに横たわりその文庫本を読みはじめていました。道元の凛とした厳しいことばが、しだいしだいに肺腑に沁み込みはじめます。背筋がいやおうなく正させられ、きっちりとベンチにすわりなおしはじめていました。

 陽光は頭から降りそそぎ、藤棚の草花の影が、風にゆられ眼下にうごめいています。

 すさまじい一語がまなこを襲います。

 「自らを卑下して学道をゆるくすることなかれ」

 魂が震撼し、この肺腑を抉りとりました。もうそれ以上読みすすむことはできません。ただ呆然と、その場に一時間近くすわりつづけたままでした。涙が溢れてきました。自分の才能のなさを理由に、ほったらかしにしておくことはもうできないのだ、と、おもい知らされるほかなかったのです。

 なんという甘え。卑下もまた慢心であることを、懇々と道元に説得されたのでした。

 この若き心的体験をおもいおこせば、そのときその状況でなければ、このことばに震撼させられることはなかったことだといえるでしょう。そして、そのときにこの書物のこの一語に出会えたこと、それがまた確実に、わたしの取り組みの甘さを一枚ひきはがしえたことは事実なのです。

 とはいえ、それ以後をひるがえれば、まだなんとなんと甘く甘い人間であったことでしょう。こんなえらそうなことを書く資格など、毛ほどももたない人間であることを、いまさらながらおもい知らされるばかりです。

 分にしたがって恥を知る。その恥を懐きながら、いまある自分の甘さを、さらに一枚さらに一枚とひきはがしていく。その意志だけは持続していきたい。そのおもいだけは棄てずにある。そういうことにすぎません。

「人の鈍根というは、志のいまだいたらざるときのことなり」

「時がむなしく過ぎ去るのではない、人がむなしく世をわたるのである」

 金句金言。あらためて、ただこうべを垂れるほかありません。