論争はたのしい  

 論争は好きですね。燃えながらも頭がどんどんクールになり、相手の言句に応じてますます自己の思惟がとんがっていく状況は、ある種、脳髄への麻薬的効果すらあります。

 で、いままた、某所で論争とまではいかないけれど、即応の言語駆使に備えて待機しなければならない状況を、麻薬ほしさに、つい手を出してしまいました。

 自分のバカさがあばきだされる局面がおとずれるのも、これまた論争場でしか味わえぬじつにスリリングでたのしいものがあります。

 相手の一言一句に全神経を集中して、ことばの狙撃を待つ心境です。むろん、相手のことばの弾丸が飛んでくる渦中で。撃つか撃たれるか、そういう場です。

 そういうことにかまけて、今日は、書くことを捻出する時間がまるでありませんでした。でも、そういう時間も持たないとね。

 また、これからもバトルです。では。


 

ポオ「構成の原理」 

 エドガー・アラン・ポオの「構成の原理」(篠田一士訳)はおもしろい。

 この詩論は、ポオの代表詩であり、あまりにも有名なかの「鴉」の創出過程をみずからが詳述したものです。創作の秘密の園に自分の作品を素材として足を踏み入れ、その過程の解き明かしを自身でおこなっている論文です。一言でいえば、じつにスリリング。自己分析のその自己客体化はすばらしいものがあります。醒めた眼が、じつに玲瓏として高らかに自身を凝視しつづけています。異常なまでに。

 できあがった結果ではなく、できあがるまでの作家精神内部の創出過程の具体的遍歴を記述しえるのは、みずからでしかありえません。しかしこの過程に足を踏み込んだ叙述の試みを、すくなくともここまではっきりと著したのは、ポオがはじめてのことではなかったでしょうか。そのこと自体にポオ自身がふれています。

 『ぼくはときどき思うのだが、どんな作家でもいい、自分の作品のうちどれか一つが完成するまでに辿った過程を逐一詳述する気になれば(というのは、それができれば)、たいへん興味深い雑誌論文が書かれるはずである。そうした論述がなぜ公刊されないのか、ぼくには何とも言えないが、恐らくは作家の虚栄心が他のどんな理由にもましてそのことと関係しているのであろう。大抵の作家、殊に詩人は、自分が一種の美しい狂気というか、忘我的直観で創作したと思われたがるものだし、また舞台裏、つまり、手は込んでいるが未だ定着していない生(なま)の思想とか、最後の瞬間まで補足しがたい真の目的とか、無数の片鱗は覗かせても全容を顕わすまでには熟していない観念とか、手に負えないことに絶望して放棄してしまった熟しきった想像とか、細心の取捨、苦しい推敲、要するに車輪と歯車、場面転換の仕掛け、段梯子と奈落、雄鶏の羽毛、紅と付け黒子といった、九十九パーセントは文学的俳優の小道具であるものを、読者に覗き見されることに怖気をふるうものである。』

 こうしてこの過程は、あからさまにわたしたちの前には容易に姿をあらわしません。その意味では、その楽屋裏を、しかも精神の楽屋裏を、ここまであからさまに記述しえたポオの特殊な力量には驚嘆を隠し切れないでいます。

 ここでは、その長きにわたる全文を掲げるわけにはまいりません。とはいえ、文庫本でわずか19ページという分量。スグにでも読み通せる程度です。しかも、詩の創出にとどまらず、その構築過程の記述は、映像創作のありかたにも大変役立つものです。

 なにごとかの創作を志す人ならば、眼を通しておいて、決して損することのない論文におもいます。

 その具体的構築過程を語りはじめるはるか前の序論ですが、大好きな一文を掲げて、きょうは終えたいとおもいます。

 『普通に行われているストーリーの組み立て方には、根本的な誤りがあるとぼくは思う。歴史に題材を仰ぐか、同時代の事件に触発されるか、或いは、せいぜい、作者がめぼしい事件を組み合わせて物語の大綱だけを作り、頁を追って見え透いてくる事件や行為の間隙を、たいていは描写や対話や自注で埋めようとしている。

 ぼくなら手始めに効果を考える。独創的であることは絶えず念頭に置きながら――この明らかに容易に得られる興味の源泉を敢えて無視するのは自己欺瞞である――まず最初にぼくは、「感情や知性、(更に一般的には)魂が感受する無数の効果や印象の中から、今の場合どれを選んだものだろうか」と自問する。第一に斬新な、第二に生き生きとした効果を選びとったら、それが最もうまく生かされるのは事件によってか、調子(トーン)でか、つまり平凡な事件と異常な調子を用いてか、その逆か、それとも事件も調子ともに異常にすることによってかを考え、それから、その効果の案出に最も有利な事件や調子の配合を、ぼくの周囲に(或いはむしろぼくの内部に)捜し求めるのである。』

 時間的余裕があれば、この文章の解読にも、また手を伸ばしたいものです。

 「手始めに効果を考える。独創的であることは絶えず念頭に置きながら」

 たとえこれだけでも、呪文として唱え続ければ効験あり、とわたしはいい置きたいですね。

 ビデオについて    

 わたしたちのまえには、安価な民生用のすぐれたビデオカメラがあります。たとえばDVカメラなど。

 「しぶさん」と略称された4分の3インチのビデオデッキ(これははじめてのカセットタイプのビデオ媒体でした)の時代、そしてそのカセットデッキと一体化させた手持ちカメラが現われはじめた時代からビデオを実地に見知っている人間からみれば、現在の発展はとてつもなく脅威的なできごとに映ります。

 たとえば現在のビデオカメラでは、一度スイッチを切ってのち、あらたにスイッチをいれたその部分の定着映像を再生すると、そのつなぎ部分に映像の乱れは生じません。そのことは、いまでは至極あたりまえのこととして受けとめられています。

 フィルム映像システムの場合、一コマ一コマの空間的位置は、はじめから既定の場所としてすでにフィルム上に規定されており、その箇所へ対象光像を一コマずつ定着させるシステムのありかたですから、もとよりそうしたつなぎの乱れの可能性は原則的におこりません。

 しかし、ビデオテープに信号として、光像の一コマ一コマを、そのコマを規定する信号とともに記録するビデオシステムのありかたの場合、その空間的コマ位置は、コマを確定しつつその光像をも記録するのですから、テープ上に事前にそのコマの規定があるわけではありません。ですから、スイッチをオフしてのち、ふたたびオンにするその立ち上がりにおいて、事前のコマの信号に続けて正確に次のコマの信号を乱れなく継続的に記録するためには、おそろしく精密な記録精度の実現をもとめられることになります。オンの立ち上がり時には、まえのコマの終わりの箇所に、きっちりとテープ位置をとどめ、そこからただちに、あらたなコマの信号を、一コマたりとも不正確な映像信号とならぬよう記録させねばならないのです。これは、マイクロコンピュータの信号制御がなければ、到底不可能なことですし、モーターの精度も、またその制御技術も、格段の進歩がなければ実現をみないことでした。

 編集という段階になると、ビデオはまたやっかいなものでした。コマの信号の継起的授受は、物理的機械的におこなうにはきわめてやっかいな仕組みです。必要カットごとに切断してつなげるというフィルム的編集方法をビデオはとりません(ただし、初期の2インチビデオの時代には、特殊にルーペでコマ信号を確認して切り離すという、おそろしい荒業もありました)。

 原像記録のテープ信号をあらたなテープへ、計画的な編集順位の立案のもとに、媒介記録させて映像信号を移しかえ編集していた時代です。いわゆるリニア編集です。そのつなぎにおけるAデッキのテープからBデッキのテープへと記録信号を授受する方法は、そのデッキ個々のランニングのありかたのコマの同調に微妙なズレがおこります。それを同調させるための電子制御システムを介在させねばなりません。さらに映像信号の移しかえ時点で、いろいろなつなぎのテクニックを駆使するためには、大変な機材が必要でした。ベーター・VHS時代には、かくして編集にデッキ二台は最低必要でしたし、つなぎを乱れずに記録するためには、電子制御のおこなえる、高級デッキを備えねばなりません。つなぎのテクニックを駆使するためには、さらなるシステムの追加が必要でした。

 そうした時代は、ほんの十年ほどまえのできごとでしたが、いまやこうした状況は一新され、まったく隔世の感がそこにあります。

 コンピュータ精度の実力アップとデジタル信号による映像記録技術の発展により、一挙に編集は、ノンリニアでおこなう時代へと移行をはたしました。ビデオカメラとコンピュータによるノンリニアのビデオ映像制作システムは、いまでは20万円もあれば整えられる状況にあります。ハードディスクの量的拡張の進歩と、そのコストパフォーマンスの進化。こうした機材的発展にもささえられ、長編の映像作品の製作さえも、いまでは標準のコンピュータで、さほどの支障なくおこなえるまでにいたっています。編集カットは自由に組み換えることができ、そのつなぎのテクニックも、編集ソフトに応じて多様自在におこなうことができるようになりました。

 その発表媒体をインターネット上にもとめれば、その創作から発表まで、個人が個人の美意識と労力のみで、日常生活のなかにそれを実現し展開しうる環境が、映像表現機器の発明以来、はじめて実現をみる時代が、いま出現しているというべきでしょう。

 昨日のこと  

 自宅からほど遠からぬところで、昨日、新作の自作ビデオの上映をおこないました。持ちこみの作品を自由に無審査で上映してくれるスペースがあり、第三月曜日と決めて、月一度、定期的にその催しがおこなわれているのです。

 上映した作品のもともとは、先々週に六甲のギャラリーでおこなわれたイベントの催しのため、既存の映像素材から恣意的にピックアップして、急遽一日ででっちあげた超短編映像集でした。そのときは7篇だったものを、その後また一日かけて3篇増やし、10作の小品集にまとめたものです。

 六甲のイベントでは、ビデオプロジェクターがかなり旧式で、液晶ドットは粗いものでした。投影された画面サイズもそれほど大きなものではありません。そのせいもあって、そこそこ効果的な視触感がありました。ごまかしが効いたというところでしょう。

 しかし今回は、プロジェクターも優秀、投影画面もまた巨大で、そのサイズと質において投影されてみると、発想の陳腐さ、その構図の無神経、カメラパフォーマンスの悪さ、つなぎと構成の粗雑さといったもろもろの劣等性がまざまざと浮き立ち、刃をグサリと、おのれに対して突き立てられたように感じてしまいました。

 家庭のテレビのモニターサイズでみているときには、なんとか、鑑賞価値があるかのように安易に考えていたのですが、ダメでした。甘い。映像表現をなめている。自分で自分にそう批判するほかありませんでした。残念ですが、それが幻想なき実力というところ。無能のきわみの覚醒です。

 そんなわけで、今日は、いささか以上に落ちこんでおります。

 バカはバカなりに、その現状認識から建設的な一歩をすすめるほかないのですが、それでどうにかなるレベルとは、いまはにわかに信じがたい。ハードルは、ことのほか高いようにおもいます。この突破をどうはかるのか、苦悶は底知れずつづきつづける気配です。またや、地獄の季節の到来でしようか。

「徒然草」のとある一段  

 先般、とあるところで、その場の話題の関連にふれて、ひょいと木登り名人の話を持ち出したことがあります。語ったそのあとで、たしか出典は「徒然草」ではなかったろうかと、おぼろげな記憶をたよりに、帰宅後、書棚の奥から「徒然草」を取り出して調べました。記憶どおり、たしかにありました。第109段、下記に全文を掲げます。

「高名(かうみょう)の木のぼりといひしをのこ、人をおきてて、高き木にのぼせて梢を切らせしに、いとあやふく見えしほどはいふこともなくて、おるるときに、軒長(のきたけ)ばかりになりて、「あやまちすな。心しておりよ」と言葉をかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛びおるるともおりなむ。如何にかくいふぞ」と申し侍りしかば、「そのことに候。目くるめき、枝あやふき程は、おのれが恐れ侍れば申さず。あやまちは、やすき所になりて、必ず仕ることに候」といふ。あやしき下蟖なれども、聖人のいましめにかなへり。鞠も、かたき所を蹴出してのち、やすく思へば、必ず落つと侍るやらむ。」(角川文庫「改訂徒然草」より)

 無類の名文です。徹底的に無駄は削ぎ落とされ、その構成的展開の骨格だけが精妙に浮上するギリギリの描出にとどめてあります。感性と理性を溶融させた透明度の高さ。吉田兼好の脳髄のなせるそのわざをなんと形容すべきでしょうか。抑制の至芸、名人というほかありません。こういう文章でないと、名人の話を書こうとも、その書き手の表象通過の実態を浮上させることにはなりません。内容に形を与えることのまことのむつかしさを痛切に感じます。

 そうおもえば、こうして駄文をつらねることは、ほとほと絶望を背負ってしまうことにも感じてしまいます。メゲますよ、まったく。

 古文に不得手の人のため、現代文をここに掲載して、そそくさとこの一幕は閉じましょう。

「木のぼりの名人といわれた男が、人を指図して高い木にのぼらせて梢を伐らせた折に、ずいぶん危なそうに見えるほど高いところに登っていた間は、何もいわないで、おりるときに軒の高さぐらいになったとき、「過ちをするな。気をつけておりろ」と声をかけましたので、「これくらいの高さになったら、たとい飛びおりてもおりられるだろう。どうしてこんなにいうのか」と申しましたところ、「そのことなんでございます。目がまわって、枝が折れそうで危ない間は、恐ろしくて自分で気をつけますから、こちらからは何も申しません。過ちは楽な気持ちになってから、必ずいたすことでございます」という。卑しい身分の人間だけれども、その言葉は聖人の誡めにも適っている。鞠でも、蹴りにくいところをようやく蹴出して、これで安心と思うと、必ずやり損なうとやら申しております。」

自主映画というたわごとについて 

 明石にインディーズの著名な超弱小出版社があります。知る人ぞ知る、かの幻堂出版です。その出版社を独力で運営しているのは、なかのしげるさんという方で、70年代初頭より、8mm作品を赤土輪という監督名で制作し続けている映像作家でもあります。

 自主映画についてなにか書いてほしい、と頼まれたのはもう数年もまえのことでした。すこし留保期間がありましたが、発刊する雑誌を丁重に送り続けていただき、その義理が圧力となって、ともかく書き上げました。

 その後、その原稿に対しての音沙汰はなく、ボツになったと判断していささかホッとさせられておりました。しかし、そのほとぼりの遠く遠く醒めたころ、ふいと「何の雑誌・第6号」に掲載をみました。今年の7月のことです。いささか以上にびっくり仰天でしたが、原稿を投じてしまえば、その掲載の権限はむこうのもの。こちらにはもとより文句はありません。

 とはいえ、筆力不足・展開不足のまずしい文章のうえ、掲載への期間は遠く開き、テーマはまた自発のものにあらず。その掲載文章をあらためて視つめさせられることとなり、なんともいえぬ気恥ずかしさにおそわれました。

 今日は終日バタバタしており、文章を書くいとまがありませんでしたので、気恥ずかしい文章ですが、それを代替に掲載し、お茶を濁しておくことにいたします。



 * * * * * * * * * * * * * * *



<自主映画というたわごとについて>


 どのような表現であれ、それがメシの種にはならぬことのほうが多い。

 表現は、いわば人間が人間らしく生きていることの証でもあるものだから、表現という活動自体を人間がやめて暮らしていける道理はもとよりない。会話を持たずには生活物資ひとつ手に入らぬことも起ってこようというものだ。

 この表現のありように二態ある。鑑賞を目的とした表現と、暮らしを支えるための実用的な表現とである。無論その境界は茫洋としたものであって、相互に入り組んで個々の表現形象はまだら模様の実現を見ることになる。

 実用的なものは脇において、ここでマナ板に乗るべきものは鑑賞を目的とした表現である。ひとつの世界として完結をみた、作品として形象化されたところの他者との心的交流を意図されてのそれである。
 当然ここで意識されているのは、映像において作品化されたそれ、ということになる。

 その映像において実現化された鑑賞表現の作品は、すこぶる巷に横溢している。テレビの受像機から、はたまたスクリーンから、それらの作品がわたしたちの眼に飛び込んでこない日はない。

 これらの作品の製作費は、組織化された商業形態資本により捻出されたものが大半である。

 大きな観点から捉えれば、そうした作品を鑑賞したいと思う人たちの、その精神消化の対象作品を欲する衝動が、それらの作品の製作費を経済的に支持する基盤になっており、その基盤を背景に、再生産機能を担う商業資本が成立を見ていることは明白であろう。

 しかし、こうした商業ベースの枠内には手が届かずか、あるいはその社会的な枠決めに収まりきれないものの、自己の映像作品を創りたいと欲する人たちは、あまた無数にこの社会には存在する。人間はなによりも表現してやまない動物であるからだ。そして、その人間の前に、なにがしかの胸をゆるがす映像作品が存在し、それを制作しうる個人的ベースの制作システムが社会的に存在することが奇跡的にあったのである。それは、たかだか20世紀に入ってからの人類の表現史上のできごとであり、その個人をベースにした制作システムの確立は、その世紀の後半のできごとに過ぎぬといってよいことなのだ。

 個人をベースにした制作システムの出現は、自己世界を映像として対象化し定着させる道を拓いた。その制作費を捻出するベースが個人の経済力ベースにおいて消化される範囲で制作を可能ならしめた。こうした映像作品の99%余りは、本質的にはどれもこれも自主映像作品といってよいもので、それ以外に特別の区切りをもとめることなど誰もできはしない。

 ただ、編集長の中野さんあたりが意識している自主映像作品(それをフィルム作品に限定すると自主映画ということになるだけのこと)は、その上映形態のありようといったものが、そこに侵食を果たしていることが見てとれよう。

 つまり、個人的ベースで創るばかりでなく、その公開形態の創造にも個人的なパーソナルな匂いを求めているのである。これは個人的ロマンの世界であり、もとより語義の定義に及ぶ仕儀にはあらざることだといわねばならぬ。ただ、どう主張しようとも、その表現の自由性はありがたくも保証されている現代社会なのではある、ということにこの議題の落ちどころは尽きる。

 さてこそ、自主映像作品というのは大半がくだらない。表現意識が低く、表現技術に見るべきものがない。そのうえ表現して共感を得るべき世界がきわめて卑小のつくりにできている。というのが、少なく見積もっても80%は越えるだろう。無論、自作を含めてのこれは自戒である。

 でも時折、見過ごすことのできない輝ける作品に出会えることがある。砂場に落ちたダイヤを見つけた心境がそこに訪れる。

 そうした作品に出会えることは稀有なできごとではあるのだが、そうした作品は確かに存在し、それが非商業的にしか成立しようがない必然を孕んであるとき、われわれはそうした作品の制作過程としての自主映像作品という枠組みを意識させられる。ここにこの語彙を持ち出す意味が浮上する。

 パーソナルなツーンとした鼻を焦がす匂いが、パーソナルな個性のままにその世界を現出させたものとしてその作品はある。ある場合にはそれは、表現形態上の非制限性が、作家の映像世界像を歪まさずに表出性を伴って表現が実現化をみた結果であるように思われるものであり、またある場合には、映像へのあっけらかんとした思慕が思いを果たしたものであるようにも思われる作品としてある。

 こうした世界像に、映像を通してしか触れることができないと自覚させられるハメに陥ってしまった人たちは、再度の大穴を夢見て競馬場へと足繁くかよう心境で自主映像作品を見続けることとなるのかもしれない。

 だが、人生は短い。やはり、くだらない作品を見ることは目と頭の毒であるとしかと心しておくべきではないだろうか。それが中毒と成り果て、廃人一歩手前である、わたし同様の人間以外には。

表現外にカメラ眼の定着する光像 

 スチル写真の表現もムービーの表現も、ともに対象光像の記録をおこなうカメラという機械を媒介させて表現を実現させます。一見、機械そのものが記録をおこなうかのように見えますが、その視覚像のありかたの選択は撮影者の頭脳を介して実現をみるのですし、いったい何の対象を撮るのかの選択も撮影者の判断によるものです。そのもろもろの選択判断のうえでカメラスイッチを押すことになります。ですから機械が記録表現をおこなうのではなく、機械は視覚表現のありかたを規定する媒介物でしかありません。しかし、機械を介在させての記録のありかたは、他の表現、たとえば絵画形象の創出のありかたとは異なった、特殊な実現形象の形成過程があります。

 絵画の形象は、すべて認識運動を媒介してあらわれるもので、まったく偶然的な形象が出現する可能性はほとんどありません。偶然的な形象のあらわれを意図的におこなうという設計においてのビジョンをもったものとしてのそれとしてはありえますが、土台からのそれはないのです。

 しかし、カメラにおける光像の定着という過程では、意識的な心の反映でも無意識的な心の反映でもないもの、まったくの偶然性により定着をみる光像反映がそこではありえます。これを「偶出」と呼ぶことにしましょう。

 カメラを押す間にカメラの視角内に偶然に侵入をみた動態光像や、枠内に写りこんでいるにもかかわらず見のがしてしまった光像は、意識においてはその枠外にあって、しかも現実的な光像の反映としては欠落することなく定着されます。心そこにあらずしてそれを見過ごしてしまっても、まったくの認識外にあるカメラまえの現実が定着をみることとなります。しかし、それはただ認識外の現実光像がカメラ機能として現実的に定着されただけのことで、このあらわれは偶出であり、それは表現にはあらざるもの、つまり非表現形象です。

 前景に心うばわれるあまり、後景の写りこみに意識がゆきとどいていない映像光景が定着をみることは、いまだ撮影表現に無自覚なカメラマンにはよくみかける現象です。

 ここで以前に述べた、表現とは区別した表出をあわせて考えると、映像には、意識的反映としての表現映像形象と無意識的反映としての表出的映像形象、そしてこの非表現としての偶出的映像形象が、切りはなされずに融合して形象を実現化させていることになります。つまりここにおいての映像形象は、表現・表出的形象と非表現的形象が混雑しており、しかも切り離すことが不可能なものとして実現をみていることとなるのです。事後修正の可能性はここでは捨象して考察をすすめます。のちほどのトリミング修正を基本的にはおこなえないムービー映像の場合、この偶出的あらわれは、スチル写真の表現以上に、枠内の光像の写り込むものをシビアにとらえなければならないことを示します。部分的なものとしてその部位だけを抉りとるわけにはいかないからです。

 しかし、この偶出的形象は、いつまでも偶出的形象としてとどまるのかというと、必ずしもそうではありません。選択が表現の過程において、重要な基点であるという以前にのべた記述をおもいおこしてください。

 偶出的形象のあらわれを含んだその形象の全体を客体的に把握したうえで、自己の美意識をくぐらせ、その形象を表現と化す、つまり作品としたり、他者に対して提示しようとした時点で、それは表現へと転化するのです。意識媒介において表現化するという以前に展開した論理は、こういう過程的な具体を含みます。この選択を通じての表現過程化(むろんそれは不表現化という裏の過程も含めたうえでのそれです)は、それゆえ弁証法的に捉えてのみ、はじめてその実態をあらわにさせることができるものなのです。